白地蔵尊
成田字芳野川に白地蔵と呼ばれる石の地蔵さまがあります。
「沙石集」に菅野幸市が「白地蔵尊の由来について」という題で書いていますがおよそ次のようなものです。
天保年間(1830年~1844年)菅野幸三郎家に体の弱い男の子がいて医術も進んでいなかったために14、15才で亡くなりました。
そのころ菅野家の本家に荒久七と呼ばれる力持ちがいました。多分、本名は久七で豪傑なので「荒」の字をつけて呼ばれていたのでしょう。
その子の供養のために高畠から地蔵様を背負ってきて、今度生まれてくるときは地蔵様のように丈夫な体で生まれてくるように祈って祀ったといわれています。
台座を含めて約200kgある地蔵様を高畠から4~50㎞もの間を傷つかないように背負ってきたというのですから驚いてしまいます。
お参りして頭痛が治ったとか、地蔵様の体を削ってその粉を虫歯につけると痛みがとれた、などと評判になり遠くからお参りにくる人が多くなりました。
地蔵様は削られるので見にくくなりましたが豆炒りを持ってお礼参りにきたそうです。野川に近いので水難の守り神であり、人助けの延命地蔵とも呼ばれています。