六道の辻
白兎の六本の道が交わったこの辻は昭和48年に長井市の史蹟に指定されています。
寛永16年(1639年)の白兎村検地帳(田や畑を測量し広さや収穫できる作物の量などを調べて、記録した土地台帳)にも「六たう(道)」の地名がありますから、少なくとも江戸時代の初期以前から、六道の辻が出来ていたものと思われます。
南から北東に通じる道路は、かつての西通りの本道で西高玉から鮎貝方面に向かうことができます。北への道は最上、大井沢方面に通じ、西南の道は越後方面に通った道跡、東から西に通じる道は、村里から西山(葉山方面)に向かう道であったものと思われます。
この六道には、それぞれ自然石に六地蔵の名称を刻んだ碑が建てられています。側に「享保18年癸丑8月24日導師全龍院」と彫った石幢六地蔵(六角形の石のそれぞれの面に地蔵像を掘ったもの)がありますから、地蔵の名を彫った碑も享保18年(1733年)のものと思われます。六道とは仏教の言葉で人間が必ずいかなければならない六つの境界で、その別れ道が六道の辻であり、人々を苦しみから救ってくれるのが地蔵であると考えられていました。六道の辻という地名は少なくありませんが、実際に残っているのは県内ではここだけということです。