全龍院
白兎の全龍院は曹洞宗のお寺で、寛永7年(1630年)伝室誾応(でんしつぎんおう)によって開かれました。高玉の稲荷山瑞龍院とつながりがあり、兎雲山全龍院といいます。
古文書には寺域は東西33間、南北24間、面積2反5畝15歩とありますから約2550㎡になります。明治38年5月の火災で本堂も過去帳も全部焼けてしまいました。現在の建物は明治39年10月に再建されたものです。
石橋の板碑
白兎の小字山女川(あけびがわ)という所は、葉山神社参道東の大門から県境を越えて、東へまっすぐ細道を下ると、古屋敷、大御堂へ行く途中の南側の田んぼのあたりを言います。ここは昔の市左衛門屋敷の跡です。
約1000㎡の面積に舘堀をめぐらした跡がありましたが、今はなくなりました。市左衛門は梅津市左衛門といい鉱山師でした。
葉山や臼ケ沢の金山が盛んなころ、金山大尽(大金持ち)となりました。あまり贅沢したのでとがめられ、家財を取りあげられ追放されてしまいました。山女川市左衛門ともいうので、ここを山女川屋敷と呼ぶようになりました。山女川屋敷の東西に石橋という小字がありますが、その小川に幅60㎝ 長さ150㎝程の石橋がかかっていたのでこの地名が生まれました。
昭和27年の秋この橋をのぞいたところ、阿弥陀の梵字を発見したので調べてみると板碑であり、鎌倉時代末期のもので山女川屋敷の鬼門(東北の方向を鬼が出入りするといって嫌った)に建てられていたものと思われます。さっそく山女川屋敷に建てましたが、圃場整備のため、全龍院山門の傍らに移されました。