山形県長井市 致芳地区のご紹介
致芳地区テーマ
位置
置賜盆地の北部、長井市の北側に位置し、西に葉山の霊峰を仰ぎ、地区の中央を流れる最上川と並行して山形鉄道フラワー長井線・国道287号が南北に延びる。置賜野川を境に市街地と隔され、田畑の広がる農業地域でもある。野川の傍には「はぎ公園」がある。
歴史・文化
12世紀ごろ、源頼朝の家臣大江時広が地頭となり、その領地を「長井の庄」と言った。やがて、大江氏から伊達氏、蒲生氏の統治を経て、明治維新まで続く上杉時代に諏訪堰や栃木堰の開削、そして元禄の最上川舟運が開かれたことによって、地域の経済・文化が盛んとなった。明治に入り、成田、五十川、白兎、森、東五十川の5ヵ村が合併し「長井村」となったのは明治22年(1879年)のことだった。明治40年、村の学校合併計画を機に当時の山形県知事 馬渕鋭太郎氏より「和致芳」(和して芳しきを致せ)をいただき、成田・五十川・白兎の合併後の校名を「致芳尋常小学校」とした。そして、昭和29年、長井町外5ヵ村が合併し「長井市」となったとき、旧長井村を「致芳」地区と称して現在に至る。
文化面においては、長井市の伝統芸能である「黒獅子舞」が各地区の寺社に伝わっており、地域住民の心の拠り所として大切に伝承されている。また、長井市無形民俗文化財にも指定されている「五十川獅子踊」は、平成21年より一時休止となったが、令和元年に地域の若手によって見事復活を遂げた。
産業
農業を主とし、それに関わりながらその他の産業に従事する人口が多い。中でも、地区内にある「あかしあ産業団地」の企業に従事している人が多い。
人口 | 約3,600人 |
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世帯数 | 約1,000世帯 |