穴堰
東五十川の穴堰(あなぜき)です。
諏訪堰が完成してから60年後の寛文6年(1666年)松川の流れが変わり、五十川の東の堰が壊れてしまいました。
そこで五十川の笹崎山に穴を掘り水を通すより方法がないということになりました。早速五十川、浅立、広野で相談し米沢へ行き藩に陳情しました。
この工事の費用は藩から直接出すことが出来ないというので御用作業小屋(今の建設事務所のようなもの)を通して、人夫として地区の人々が働きました。
穴堰は素人には出来ないので、草岡村の金掘り勘三郎という人に頼み掘ってもらうことになりました。勘三郎は妻おけさと、おけさ堀を掘った人です。
笹崎山を上と下、両方から掘り進んで隧道の中でドッキングして開通したといわれています。
今のように機械もない時代ですがわずかな段差があるだけで、たいした狂いもなく108間(約194m)の水路を開通したとのことです。
地区の名も穴堰とつけられました。昭和37年に諏訪堰の大改修で、近代的な鉄筋コンクリートの立派な隧道になりました。