致芳ふるさとめぐり - 東五十川(ひがしいかがわ)

火伏せ祈祷の名手として名を馳せた、宥日上人(ゆうにちしょうにん)の生誕の地です。現在も関連する史跡が点在しています。中でも、宥日上人が誕生した際に産湯として使用した井戸が現存しており、毎年、年始の壬辰(みずのえたつ)の日には、お水取りに来る人々で賑わいます。その水を屋敷内や屋根に撒くと火事にならないと言われています。

2021年撮影、五十川観音堂の写真

現在の写真


昭和30年 五十川観音堂の様子

昭和30年 五十川観音堂の様子


東五十川の生僧地区にあるお観音さまです。この観音堂はいつ頃建てられたものかわかりませんが、宥日上人の伝説から考えると、室町時代以前からあったものと考えられます。

伝説によりますと昔、村上越中守義清の子孫が越後からきてこの地に住み着き、かぶとの護り本尊をお堂に祀りました。後に山の大けやきを切り木像を彫り安置したといわれ、ご本尊は千手観音座像、勢至観音、聖観音等といわれています。

昭和の始めに一度開帳されたといわれますが、身長2mの一本造りの仏像で秘仏といわれ、見ると不幸がおこるといわれています。お堂は享保9年(1724年)再建されました。

その後宝暦7年(1757年)4月下旬から雨が降り続き、未曾有の大雨となり、一面濁流に覆われて、湖のようになりました。このとき観音堂上の山から土石流がながれ、観音堂も流されてしまいました。それから4年後宝暦11年(1761年)再建されたものが今のお堂です。

別当は正寿院で、堂守りは村上新兵衛家が代々つとめています。観音堂の側にある二つの石造りのお堂は水天宮で水の神様です。

大悲閣という額の文字は薩摩の国の書家、浩然和上の書いたものです。


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