五十川観音堂
東五十川の生僧地区にあるお観音さまです。この観音堂はいつ頃建てられたものかわかりませんが、宥日上人の伝説から考えると、室町時代以前からあったものと考えられます。
伝説によりますと昔、村上越中守義清の子孫が越後からきてこの地に住み着き、かぶとの護り本尊をお堂に祀りました。後に山の大けやきを切り木像を彫り安置したといわれ、ご本尊は千手観音座像、勢至観音、聖観音等といわれています。
昭和の始めに一度開帳されたといわれますが、身長2mの一本造りの仏像で秘仏といわれ、見ると不幸がおこるといわれています。お堂は享保9年(1724年)再建されました。
その後宝暦7年(1757年)4月下旬から雨が降り続き、未曾有の大雨となり、一面濁流に覆われて、湖のようになりました。このとき観音堂上の山から土石流がながれ、観音堂も流されてしまいました。それから4年後宝暦11年(1761年)再建されたものが今のお堂です。
別当は正寿院で、堂守りは村上新兵衛家が代々つとめています。観音堂の側にある二つの石造りのお堂は水天宮で水の神様です。
大悲閣という額の文字は薩摩の国の書家、浩然和上の書いたものです。