致芳ふるさとめぐり - 森(もり)

森地区には、かつて鉱山があり大変栄えました。また、地区内には、慶応8年に白鷹の沼澤伊勢と新野和泉によって開削された諏訪堰が流れ、田畑を潤しています。 また、森観音堂は、置賜三十三観音の第三十二番札所でもあり、市内外から参拝者が訪れます。さらに鎮守の津島神社に伝わる黒獅子舞は優雅な舞で、「ながい黒獅子まつり」にも参加し人気があります。

2021年撮影、亀ケ森の写真

現在の写真


昭和30年 亀ケ森の様子

昭和30年 亀ケ森の様子


成田の昌福山福蔵院の所有地となっています。

この亀ヶ森は、東西30間(約54m)、南北60間(約108m)程の亀の形をした小丘で、頂上に2尺・3尺(約0.5㎡)の板葺のお堂があり熊野権現を祀っています。

別当は成田の福蔵院で、祭礼は6月15日と決まっていました。現在は石のお堂に作り替えられています。昭和16、17年頃、頂上附近に老松が5・6本あり、遠方からの眺めも見事で、致芳の名所の一つでした。

太平洋戦争中に老松が伐られ、残る老松の一本は、数度の落雷で半分が焼け、半分で命を守っています。

その昔、亀の首のほうには、三反歩(約297.0㎡)を覆うケヤキの巨木が茂って、その枝木で一俵(60kg)の餅がつけるほどの大きな臼が作られたと言い伝えられています。この大木は、文政10年に伐採されて五十川の蘊安神社の海老虹梁(禅宗の建築の梁)となったといわれています。

この小丘は、片麻花崗石から成っており、最上川、野川の流水に浸蝕され、又流域の堰堤工事用のケンチ石としても使用されました。

昔は、東山穴堰の笹崎山と連なり、中間を最上川の流水で絶たれて丘となったものといわれています。

伝説に上流の亀岡から流れてきたといわれていますが、高畠・竹の森、亀岡の森山と形が似ている処から、いつとはなしに語り伝えられたものと思われます。


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