亀ケ森
成田の昌福山福蔵院の所有地となっています。
この亀ヶ森は、東西30間(約54m)、南北60間(約108m)程の亀の形をした小丘で、頂上に2尺・3尺(約0.5㎡)の板葺のお堂があり熊野権現を祀っています。
別当は成田の福蔵院で、祭礼は6月15日と決まっていました。現在は石のお堂に作り替えられています。昭和16、17年頃、頂上附近に老松が5・6本あり、遠方からの眺めも見事で、致芳の名所の一つでした。
太平洋戦争中に老松が伐られ、残る老松の一本は、数度の落雷で半分が焼け、半分で命を守っています。
その昔、亀の首のほうには、三反歩(約297.0㎡)を覆うケヤキの巨木が茂って、その枝木で一俵(60kg)の餅がつけるほどの大きな臼が作られたと言い伝えられています。この大木は、文政10年に伐採されて五十川の蘊安神社の海老虹梁(禅宗の建築の梁)となったといわれています。
この小丘は、片麻花崗石から成っており、最上川、野川の流水に浸蝕され、又流域の堰堤工事用のケンチ石としても使用されました。
昔は、東山穴堰の笹崎山と連なり、中間を最上川の流水で絶たれて丘となったものといわれています。
伝説に上流の亀岡から流れてきたといわれていますが、高畠・竹の森、亀岡の森山と形が似ている処から、いつとはなしに語り伝えられたものと思われます。