致芳ふるさとめぐり - 森(もり)

森地区には、かつて鉱山があり大変栄えました。また、地区内には、慶応8年に白鷹の沼澤伊勢と新野和泉によって開削された諏訪堰が流れ、田畑を潤しています。 また、森観音堂は、置賜三十三観音の第三十二番札所でもあり、市内外から参拝者が訪れます。さらに鎮守の津島神社に伝わる黒獅子舞は優雅な舞で、「ながい黒獅子まつり」にも参加し人気があります。

2021年撮影、森分校跡地の写真

現在の写真


昭和30年 森分校跡地の様子

昭和30年 森分校跡地の様子


明治のはじめ、東五十川地区の子ども達は、東根村浅立学校(現在の白鷹町浅立)に通学していましたが、明治14年9月、森観音堂入口近くに森学校が建てられました。

森学校も児童数が増え狭くなったため、明治20年、再び浅立の学校に通うようになりました。しかし、通学が困難だったため、明治25年に現在の森公民館の所に2階建ての学校「森尋常小学校」が建てられました。

大正2年、「森尋常小学校」は、「致芳尋常高等小学校」の分校となりました。この当時も、東五十川の子ども達は、浅立の学校に通っていました。

大正6年に新しい分校が完成し、東五十川の子ども達も「致芳尋常高等小学校」の東分校生となりました。5、6年生は、渡し舟で本校に通いましたが、危険が伴うことから昭和41年10月に分校は閉校し、全員がスクールバスで本校に通うことになり現在に至ります。

現在は、社会福祉法人すぎなとして障がい者の自立支援施設になっています。


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