致芳ふるさとめぐり - 森(もり)

森地区には、かつて鉱山があり大変栄えました。また、地区内には、慶応8年に白鷹の沼澤伊勢と新野和泉によって開削された諏訪堰が流れ、田畑を潤しています。 また、森観音堂は、置賜三十三観音の第三十二番札所でもあり、市内外から参拝者が訪れます。さらに鎮守の津島神社に伝わる黒獅子舞は優雅な舞で、「ながい黒獅子まつり」にも参加し人気があります。

2021年撮影、森観音堂の写真

現在の写真


昭和30年 森観音堂の様子

昭和30年 森観音堂の様子


森は悪鬼沢というところから開けたといわれ、ここに7軒の人家がありました。

ここに初めて住み着いた頃、光り輝くものを見て、これは観音様お精霊にちがいないということになり、9尺4面(やく7.2㎡)のお堂を建て、十一面観音を祀りました。

また塔の入という山中に平坦地があり、千手観音跡と呼ばれています。ここからは石器等が出ていますから、早くから人が住んでいたものと考えられます。ここに観音様が祀られていました。

悪鬼沢の観音様と合祀され現在地に祀られたといわれています。現在地に建てられた時代はわかりませんが、享保3年(1718年)火災にあって享保7年に再建されたものです。

ここの本尊は等身大の十一面観音ですが、享保3年(1718年)の火事で半焼し荒菰に包んで安置してあります。

伝説ではその時たくさんのかんにゃぼう(かわにな)が集まってきて観音像にぴったり付いて炎から守ったといいます。そのおかげでお堂は全部燃えてしまったのに観音様は半焼で済んだそうです。このあたりのかんにゃぼうがよそのものに比べてしっぽが短いのはその時焼けてしまったからだといいます。

本尊の前にある千手観音像は40cmほどの小さなものですが、澄んだ目の美しい金箔塗りの立像で江戸時代初期のものと思われます。

置賜三十三観音霊場の32番です。ご詠歌―ありがたや、教えにまかす、此の身とて、念彼観音の、ちがいなりけり―。お祭りは8月15日に行われています。


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