致芳ふるさとめぐり - 森(もり)

森地区には、かつて鉱山があり大変栄えました。また、地区内には、慶応8年に白鷹の沼澤伊勢と新野和泉によって開削された諏訪堰が流れ、田畑を潤しています。 また、森観音堂は、置賜三十三観音の第三十二番札所でもあり、市内外から参拝者が訪れます。さらに鎮守の津島神社に伝わる黒獅子舞は優雅な舞で、「ながい黒獅子まつり」にも参加し人気があります。

2021年撮影、津島神社の写真

現在の写真


昭和30年 津島神社の様子

昭和30年 津島神社の様子


津島神社は素戔嗚尊(すさのうのみこと)と牛頭天王(ごずてんのう)を祀っています。天和2年(1682年)に建てられました。


その頃疱瘡(天然痘のこと)が流行し、また、白蛇が出て住民を困らせました。

そのとき小出村の安松寺の僧、宥昌が疱瘡にかからないことと毒蛇退治を願って、聖天堂に17日間こもって素戔嗚尊に祈りました。

満願の夜(17日目の夜)雨風と雷、稲妻で山と谷が揺れ動くほどでした。

その雨風が治まると深いふちが一面の田に変わり、白蛇はずたずたになっていました。

宥昌は神様のお告げで近くの草むらから一振りの剣を授かったという伝説があります。

村人は素戔嗚尊のために、祠を建てて祀りました。

牛頭天王は頭に牛の頭の形のかざりをつけていて、厄除けの神様といわれています。

津島神社がお天王さま、といわれるのは牛頭天王を祀っているからで、森地区では牛を飼ってはいけない、またきゅうりを作ってはいけない、とされていました。大正のはじめからきゅうりは作るようになりましたが、初物は必ず神様にそなえました。

太平洋戦争が始まって馬が軍馬として連れていかれて農作業ができなくなりました。地区では相談のうえ、神主さんにお祓いをしてもらって牛を飼うようになりました。

神社は森村の松木兵左衛門の土地に建てられましたが、後に寄進され神社の土地となりました。神社の前の山は天王沢と呼び、平地の部分は安松寺宅地という小字名ですが、お寺があったのかはわかりません。

大正の始め暴風のため拝殿が壊され、そのままになっていましたが、昭和14年松木佐七郎の寄進により再建され、松木喜蔵から獅子頭2頭、各地からそれぞれ備品が寄付されました。

参道の大灯篭は明治30年氏子一同で建て、鳥居は大正10年青年会で建てられたものです。天王様という呼び名が津島神社となり、お祭りは毎年5月8日でしたが、戦後は5月5日の休日に改められました。

昭和48年頃から青年たちによって獅子舞いが村中を練り歩き、悪魔を払い、交通安全、豊作を祈願しています。また長井市の黒獅子まつりにも参加しています。


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