致芳ふるさとめぐり - 西五十川(にしいかがわ)

致芳小学校や致芳コミュニティセンターやレインボープランなど公共的な施設があり、致芳地区の中心地でもあります。名門平吹家関連の史跡や、上杉鷹山公が養蚕を奨励するために苗木を与えたものの1つと伝わる「大桑の木」も現存しています。また、主に蘊安(うんなん)神社で披露される「五十川獅子踊(いかがわししおどり)」は、長井市無形民俗文化財に指定されています。

写真:現在の袋稲荷神社と葉山権現

現在の写真


昭和30年 袋稲荷神社の様子


玄太という人が、屋敷の守り神として建てたものといわれています。

約50年前ころまでは8月14日と15日に子どもたちで祭りが行われていましたが、今は途絶えています。祭神は、倉稲魂(うかのみたま)を祀っています。倉稲魂神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)の子で五穀の神様といわれています。

「いなり」は「稲生」のことで、稲が育つという意味からきています。稲荷神社は東寺(京都にあり、平安京の守りとしてたてられた)の守護神でしたので、朝廷を中心に発展したのですが、近世からは商業の神や屋敷神として民間にも盛んに祀られるようになりました。

稲荷神の使いがきつねと考えられているのは、御饌(みけ:神に供える食物のこと)を三狐と書いたことによるといわれています。元の場所が道路になったので、葉山権現の境内に移されました。


葉山権現

京都の行者恵法律師が羽黒山参りの途中、五十川四ツ家の古池から、金色に輝く仏像を見つけ、狐の案内で西山の葉山におさめたといわれています。

昔からここは「神屋敷」と呼ばれていて葉山神社発祥の地とされていました。

約2800㎡の原野でブナ・ツガ・トチ・ナラ・クヌギなど葉山に自生しているすべての樹木があり、特に平地ではほとんど見られないツガの大木はめずらしいものでした。

阿弥陀堂、葉山堂、石祠堂、ミソギ石などがあり、ミソギ石は鎌倉時代の遺跡であると鑑定されています。太平洋戦争のとき樹木が切り払われて今は700㎡ほどの遊園地になっています。


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