致芳ふるさとめぐり - 西五十川(にしいかがわ)

致芳小学校や致芳コミュニティセンターやレインボープランなど公共的な施設があり、致芳地区の中心地でもあります。名門平吹家関連の史跡や、上杉鷹山公が養蚕を奨励するために苗木を与えたものの1つと伝わる「大桑の木」も現存しています。また、主に蘊安(うんなん)神社で披露される「五十川獅子踊(いかがわししおどり)」は、長井市無形民俗文化財に指定されています。

2021年撮影、おせき供養塔・栃の木堰跡の写真

現在の写真


昭和30年 おせき供養塔・栃の木堰跡の様子


栃の木堰は野川の水を源流として寺泉、高堰、西舘、宮内、白兎を通って最上川に注ぐもので重要な農業用水路でした。

開かれた正確な年代やその時の様子などについての記録は残っていませんが、伝説として手塚源右衛門と召使の少女おせきについての話が伝えられています。


承応年間(1652年―1654年)西舘の豪族手塚源右衛門は、堰を通せばまだまだ多くの田が開けると栃の木堰の工事にかかりましたが、大変な難事業でした。

おせきは苦労している主人のために人柱(難工事の時に生きた人間を水底や土の中に埋めると、工事がうまく進むという考えで犠牲になること)になろうと工事の困難な場所に身を投げました。

そのお陰か工事は無事に終わり、堰には野川の水がこんこんと流れて五十川を潤しました。

野川土地改良事業で昭和47年に新しい水路ができました。「栃の木堰跡」の碑は昭和55年に建てられ、おせき供養塔は致芳郷土史会の有志によって建てられたものです。


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