致芳ふるさとめぐり
「致芳ふるさとめぐり」は、昭和50年代に致芳地区市民委員会によって整備されました。致芳地区内に現存する史跡をめぐり、ふるさとの歴史や文化を学ぶことを目的としています。その後、昭和57年度には、致芳小学校PTAが教育本として「ふるさと致芳」を発刊し、平成10年度には、致芳地区文化振興会によってリニューアル版が発刊されました。現在でも、地域住民に愛読されています。
「致芳ふるさとめぐり」が整備されて、約40年の歳月が経過しました。その間に姿を消してしまった祠や移転した史跡も出てきました。また、新しく整備された史跡もあり、令和2年度に致芳地区文化振興会と致芳コミュニティセンター教育文化部会によって見直しを実施しました。
現代は、情報化社会が進み、スマートフォンによって様々な情報が入手できるようになりました。そこで、先人が築き上げた「致芳ふるさとめぐり」に現代の先端技術であるQRコードを導入し、アクセスすることで、さらに学びやすく知識を深める環境を整えました。ぜひ、ご利用ください。
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東五十川(ひがしいかがわ)
火伏せ祈祷の名手として名を馳せた、宥日上人(ゆうにちしょうにん)の生誕の地です。現在も関連する史跡が点在しています。中でも、宥日上人が誕生した際に産湯として使用した井戸が現存しており、毎年、年始の壬辰(みずのえたつ)の日には、お水取りに来る人々で賑わいます。その水を屋敷内や屋根に撒くと火事にならないと言われています。
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森(もり)
森地区には、かつて鉱山があり大変栄えました。また、地区内には、慶応8年に白鷹の沼澤伊勢と新野和泉によって開削された諏訪堰が流れ、田畑を潤しています。 また、森観音堂は、置賜三十三観音の第三十二番札所でもあり、市内外から参拝者が訪れます。さらに鎮守の津島神社に伝わる黒獅子舞は優雅な舞で、「ながい黒獅子まつり」にも参加し人気があります。
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成田(なりた)
旧佐々木家の繁栄により、米沢藩上杉家との交流や舟運によって京都との往来も盛んに行われ、文化が発展した地区でもあります。また、近年では、国の登録有形文化財の指定された「羽前成田駅」に訪れる観光客の姿も見受けられます。裏道や水路もあり、街歩きにおススメです。
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西五十川(にしいかがわ)
致芳小学校や致芳コミュニティセンターやレインボープランなど公共的な施設があり、致芳地区の中心地でもあります。名門平吹家関連の史跡や、上杉鷹山公が養蚕を奨励するために苗木を与えたものの1つと伝わる「大桑の木」も現存しています。また、主に蘊安(うんなん)神社で披露される「五十川獅子踊(いかがわししおどり)」は、長井市無形民俗文化財に指定されています。
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白兎(しろうさぎ)
白兎(しろうさぎ)の地名は、日本で唯一の地名と言われ、12年に1度の兎年には、地区をあげて盛大に記念行事が行われます。西にそびえる葉山は、古より信仰の山として崇拝されています。山頂に祀られている葉山神社本宮は、概ね20年に1度建て替えが行われ、精神文化が次世代に受け継がれます。また、葉山森林公園は、キャンプ場としても人気を呼んでいます。